○準備業務の始動
平成20年3月、「その豊かな自然を維持しつつ、国民が自然に直接ふれあえる場として、御用邸用地の一部を活用してはどうか」との天皇陛下のお考えを踏まえ、現在の那須平成の森が宮内庁から環境省に管理移管され、検討会によって「那須の森(仮称)保全整備基本構想」が策定されました。そして開園を翌年に控えた平成22年度にはこれまでの構想や計画を具体化する準備が始まり、その業務を公益財団法人キープ協会(山梨県清里)が担当することとなりました。
平成22年度は、清里と那須、さいたま市(環境省)を行き来する日々が多くなりました。那須では那須平成の森の施設の建設が同時進行で行われていました(写真参照)。建設現場を横目に見ながら遊歩道もない森の中でイメージを膨らませ、那須自然保護官事務所に集まっては情報共有を繰り返していく、そんな日々が始まりました。
○ワーキンググループ
準備の年は、複数の専門家とワーキンググループを組織しました。メンバーは、古瀬浩史(当時、自然教育研究センター)、小林毅(当時、帝京科学大学・故人)、西直人(リードクライム社)、川嶋直(当時、キープ協会)、若林正浩(キープ協会・筆者)(写真参照)。日本の自然ふれあい施設のモデルを目指す気概を持って計画に当たりました。私たちは当初からアメリカの国立公園の公園計画を参考にしようと考えていました。それは、国立公園運営の先進国アメリカの例を基に日本の諸事情に合致した計画にアレンジしていくことで、より効果的な公園運営を計画できる絶好の機会だと直感的に感じたからでもありました。
現地に集まっての打ち合わせは、5月、9月、11月、1月に実施し、新緑から積雪期の森の様子をつぶさに現地踏査して計画に盛り込んでいきました。また、特に公園の運営計画の核となる「インタープリテーション計画」(第2回に詳述)については、現地打合せ会以外にも各自宿題として持ち帰り作成に当たりました。
(左から古瀬、川嶋、小林、若林)
○1年間というタイムリミット
1年間という準備期間の中で検討しなければならないのは、管理運営計画の立案、人員配置の検討、プログラムの試行事業の実施、印刷物の作成、ホームページの作成、インタープリテーション計画の立案などで、それに加えワーキンググループによる現地打合せ(写真参照)、環境省との定例会議などが行われました。
文字にしてしまえばそれまでですが、これまでの行間に落とし込むことができない沢山の理論や思いの共有、細々とした準備や試み(実践)を遂行し報告書としてまとめあげていきました。ワーキンググループ、環境省の担当者との緊密な連携によって完成した成果物でもありました。
那須平成の森という新しい自然学校の「0年」は、このようにしてあっという間に過ぎていきました。